にうかわかみ しもしゃ
奈良県吉野郡下市町長谷1−1

式内社 大和國吉野郡 丹生川上神社 名神大 月次新嘗
旧官幣大社

闇靇神

工事中の309号線を延々と南下すると道沿いにある。遠い。

中社同様、屋根付きの階段が上まで続く。一般は入れない。中社よりすごい。


丹生川上神社下社由緒
御祭神
 闇靇神(クラオカミノカミ)
 いざなぎ、いざなみ二尊の御子神
御創建
 天武天皇白鳳四年(六七六)「人声聞えざる深山に宮柱を立て祭祀せば、天下のために甘雨を降らし霖雨を止めむ」との御神誨に因り創建された古社である。
御例祭
 六月一日
御神格
 延喜式の名神大社二十二社の一社
 元官幣大社 明治四年列格
御鎮座地
 丹生川の川上 丹生山
 神武天皇御東征の途御親祭遊ばされた地である。
朝廷の尊崇
 天平宝宇七年(七六三)幣帛の外、特に黒毛の馬を奉献される。その後、祈雨には黒馬、祈晴には白馬を献ずることが恒例とされた。
 孝明天皇安政元年(一八五四)に「外患惧服国家清平」の祈祷を仰付けられた。
御神徳
 大気を浄化し、万物生成化育の根源たる水を主宰遊ばされ、地球上のありとあらゆる物質の上に、はかり知れない恩恵を垂れ給い、守護あらせられるいのちの神様である。

−境内由緒−

 丹生川上神社 上社は奈良県吉野郡川上村。中社は吉野郡東吉野村。下社は吉野郡下市町。通称に、上社は川上神社、中社は雨師の明神、または蟻通さん、下社を丹生社という(いずれも旧官幣大社。現、別表神社)。神武天皇の東征に際し、天皇の夢の中に天神が出現し、天香山の土を取って天平瓮八○枚、厳瓮を作り天神地祇を祀れば賊は平らぐという。天皇は丹生の川上にて誓をしたところ神意にかなっていたので、「丹生川上之五百箇直坂樹」で天神地祇を祀ったところ、賊の平定が容易に行われたという(『神武天皇即位前記』)。
 天平宝字七年(七六三)「奉幣千四畿内群神其丹生川上神者加黒毛馬旱也」とみえ、以後、祈雨のために黒馬を奉ることとなる。宝亀八年(七七七)白馬を奉られる、弘仁一○年(八一九)以後は貴布禰社とともに祈雨、止雨の祭を行われるようになり、延喜式臨時祭にも、貴布禰社と同じく黒毛馬を与えられる特別の規定がある。名神大社に列し、祈年・月次・新嘗等の官幣に預かる。同九年従五位下、寛平九年(八九七)従二位に叙せられた。また二二社の一に数えられている。
 これほどの名社も、応仁の乱以後、たとえば『親長卿記』明応五年(一四九六)には既に祈雨奉幣のための資力がないというような記事があり、丹生川上神社そのものの所在すら消息を失ってしまった。明治四年(一八七一)に至り、丹生大明神社(現下社)を官幣大社丹生川上神社としたが、これに対して寛平七年の太政官符にのる四至に適合しない、としてむしろ現、上社をあてるべきとする『大日本史』に従い、同七年、高靇神社を官幣大社丹生川上神社奥宮とした。が、これにも異義の生ずるところとなり、同二九年、丹生川上神社を下社、奥宮を上社とした。さらに東吉野村の蟻通神社が、その社辺をとおる高見川を古代の丹生川であるとして請願したことからこれを中社と認定するに至り、このとき中社の祭神を罔象女神、上社を罔象女神から高靇神へ、下社は高靇神から闇靇神へ改められた。
 例祭=上社一〇月八日。中社一〇月一六日。下社六月一日。上社には末社の水神祭(一月三日)、山の神祭(六月七日)、愛宕祭(一〇月五日)、恵比須祭(一一月二三日)は当屋の職掌する祭である。中社の石灯籠(銘弘長三年丹生社)は重文指定。また近くのツルマンリョウ自生地は天然記念物。中社には例祭に八台の太鼓台を奉昇し、下社には祈雨止雨のための大古踊がある。

−『神社辞典』−