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式内社 紀伊國名草郡 日前神社 名神大 月次相嘗新嘗 式内社 紀伊國名草郡 國懸神社 名神大 月次相嘗新嘗 紀伊國一宮 旧官幣大社 日前國懸神宮公式サイトを開く 御祭神
境内式内社 紀伊國名草郡 麻爲比賣神社 境内末社菟佐神社 |
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和歌山市秋月にある。南海貴志川線日前宮駅の北。
鳥居をくぐり、参道を北へ進むと、突き当たり。
左へ行くと日前神宮、右へ行くと國懸神宮がある。
正面には奥へ続く道があるが、結界されており、
一般の参拝者は進めない。何があるんだろう。
古社図を見ると、護摩堂や酒殿、多くの建物があったようだ。
![]() 資料提供 神奈備にようこそ |
天照大神が天岩戸に隠れた時、思兼命の立案で、
石凝姥命によって鋳造された鏡を掲げて、
天照大神を招きだす作戦が実行された。
最初に造った鏡は、神達の御意に合わず、
再度作り直した鏡は、「美麗」であり、作戦に使用された。
ここに祀られている鏡は、その最初の「御意に合わない」鏡であり、
「美麗」な鏡は、伊勢神宮に祭られる八咫鏡である。
当社の起源は、神武天皇が天道根命を紀伊国造とし、
宝鏡を御霊代に、天照大神を祀らせたのがはじまりだが、
「失敗作」を祀っているというのが不思議だ。
このことについて、以下の話が興味深い。
天道根命は饒速日尊に随伴した神々の一柱である。
饒速日尊は、最初に降臨した神だが、
次に降臨した天孫瓊々杵尊の後裔神武天皇に恭順している。
日像鏡は最初に鋳られた鏡だが、意に合わず、
次に鋳られた八咫鏡は美麗であった。
さらに、瓊々杵尊には武神は随伴していないが、
饒速日尊には、三十二人の防衛、五部人、五部造、
天物部等二十五部人など、多くの神々が随伴し、
天道根命は武神の一柱であったと考えられ、
国懸神宮には、日矛鏡が祀られている。
これらを総合すると、
日前大神=饒速日尊、
国懸大神=天道根命(紀氏の祖)
と考えられないか。
『釈日本紀』には、『大倭本紀』曰くとして、
天孫降臨の際、鏡三面と鈴を奉じ、
一つの鏡は天照大神の御霊代・天懸大神、
一つの鏡は天照大神の前御霊(さきみたま)・国懸大神、
としている。
他の鏡と鈴は天皇の御食饌神となり、巻向の穴師の社の大神である。
伊勢神宮が内宮・外宮と分かれており、
内宮は天照大神、外宮は豊受大神を祀っている。
これは、日輪を象徴とする天空の神と
稲(農作)に関わる大地の神を祭ったものと考えられる。
日前國懸神宮に関しても、同様に、
天の神として日前があり、大地の神として國懸があるのかもしれない。
参道から左右に分かれ、両神宮が東西に同じ規模で存在している。
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名分上より両社は別個の存在であるが、祭神
並びに由緒上よりは一体不二の間にあり、同一境内に本殿
を異にする二社の大社をなしている。日前神宮は日像鏡を
御霊代として日前大神を斎き祀り、國懸神宮は日矛鏡を御
霊代として國懸大神を斎き祀るとされる。(『大倭本紀』) 日本書紀によれば、神代の昔、天の岩窟の変に際し、天 照大神、素盞嗚尊の荒びを怒り給ひ天の岩戸に隠れ給ひし 時、思兼命思し慮りて、大神の象を造りて招祈き奉るべし とて、石凝姥命を冶工とし天の香山の銅を採りて鋳造せし めしも、神達の御意に合はず、再び鋳たる鏡、その形状美 麗なるによって、これを五百箇真坂樹に懸けて大神を招き 出だしたてまつったと。その初度に鋳たるところは即ちこ の両神宮の御霊代にして、後の鏡は伊勢神宮の御霊代とし て祭祀し奉れる八咫鏡であらせられると(日本書紀)。 社伝によれば、天照大神降臨の時、大神詔して、当宮御 霊代をも三種の神宝とともに副へて降し給ひ、神武天皇は 天道根命を紀伊國造とし、紀伊國名草郡毛見郷に、この 宝鏡を御霊代として大神を祀らせられたのがこの神宮の起 源であって、次いで崇神天皇の五十一年、同郡名草濱の宮 に移し、垂仁天皇の十六年、名草の萬代の宮即ち現在の宮 地に鎮座ましましたといふ。爾来、天道根命の裔たる紀伊 國造によって奉斎せられ、明治の初華族に挙げられて男爵 をたまはり、今に伝へて八十一世に及ぶ。(紀氏系図) −『式内社調査報告』− |
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